◆正路藪(しょうじやぶ)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「石鎚山」(昭和22.3)を使用したものである
所在:西条市小松町石鎚(こまつちょういしづち)字正路藪 地形図:石鎚山/石鎚山
形態:山中に家屋が集まる
標高:下部―約400m 上部―約520m(登り口は約370m)
訪問:2008年8月・2018年8月
大字石鎚の中部、加茂(かも)川右岸側の斜面にある。
かつては県道より橋が架かっていたが、現在はない。集落の真下から登っていくルート以外では、老之川・大平からつながる道がある。
現在では老之川(おいのかわ)谷より林業用の作業道ができているが、集落を隔てているている谷筋を越えてはおらず、集落まで行くことはできない。作業道から目をこらして谷の向こうを見ていると、石垣が確認できた。位置からして人家のものではないので、耕地か何かのものだろう。また木々の隙間から、加茂川の対岸に中村の人家が見える。なおかつての橋付近では、道沿いに1軒の廃屋が見られるが、車道ができてから山を降りて構えた家だろうか 中村の方の話では、明治34、5年ころに北海道へ開拓団として全戸転出したためにいったん無人になったが、終戦後の食糧増産のために再び人が入り農地を作った。その後20年くらい続いたが、最後の住民が亡くなって無人となったという。諏訪神社の玉垣で、黒河姓を確認。
2018年訪問。橋の跡付近を渡渉し、僅かに残る道を辿ると農地跡と1箇所の屋敷跡に到達(地図画像では上側にある建物だろう)。間もなく道は完全に分からなくなるが、斜面を適当に登ると複数の屋敷跡がやや散らばって見られる場所に着く。
資料『千足山物語』によると、明治32年に1軒を残して全戸が北海道へ移住。のち移住した家の分家の人たちが住むようになったが、それほど長くは居住していなかったという。戦後の開拓で、成藪や大平の人たちが入植。しかし昭和30年頃から離村が始まり、また無住となった。
戦後入植の家々は以下のとおり(概ね下方より)。旧来の家々は全戸移住のため、屋号は不詳。
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戸主 |
屋号 |
備考 |
1 |
伊東 |
― |
折掛より |
2 |
黒河 |
― |
老之川より |
3 |
安部 |
― |
大平より |
4 |
曽我部 |
― |
〃 |
5 |
〃 |
― |
谷ヶ内より |
6 |
〃 |
― |
成藪より |
7 |
〃 |
― |
大平より |
8 |
戸田 |
― |
虎杖より |
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