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◆棚池(たないけ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「御在所山」(昭和24.7)を使用したものである

所在:東近江市九居瀬町(くいぜちょう)字棚池?
地形図:日野東部/御在所山
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約250m?(水面は約260m)
訪問:2025年5月

 

 九居瀬町の南部、愛知(えち)川右岸にある。現在は永源寺ダムの人造湖(永源寺湖)に水没(ダム建設の経緯についてはこちらのページを参照)。

 資料『愛知川谷の民俗』によると、隣接する鍛冶屋とは1つの組であったとのこと。僅かだが水田があった。
 
昭和8年頃は6戸。茶の栽培と養蚕が行われたほか、3戸は桶屋、2戸は樵、1戸は炭焼きであった。
 「棚池、鍛冶屋見取図」では、概ね下流側より古家・小中・小中・小中・左近・小杉の6戸が記されている。
 の手前には、九居瀬の檀那寺である退蔵寺(臨済宗)があった。本尊は釈迦如来。明徳元(1390)年、僧・越渓秀格による開基と伝わる。元は別の場所にあったが、明治35年に現在地に移転。なお九居瀬のうち8戸のみ山上(やまかみ)の円勝寺(浄土真宗)の檀家であった。昭和39年当時の住職は河野氏。
 寺院の石段を登る手前には地蔵堂があり、その横に「一石一字法華塔」と「一石一字血盆経」と彫られた石碑があった。

 また同書および町史によると、当地にあった山上小学校九居瀬分校の主な沿革は以下のとおり。

 明治8  化育学校設立
 明治19  簡易科九居瀬小学校となる
 明治25.8  九居瀬尋常小学校となる
 明治42.4  東小椋尋常小学校九居瀬分教場となる
 昭和16  東小椋国民学校九居瀬分校となる
 昭和18.4  山上国民学校九居瀬分校となる
 昭和22  山上小学校九居瀬分校となる
 昭和39.9.1  閉校

 さらに「角川」によると、退蔵寺は切通の八幡神社とともに町内青野(あおの)に移転したとのこと。

 訪問時は中九居瀬鍛冶屋・棚池の別を知らず、棚池のみを写した写真は撮影しなかった。ただし集落跡は完全に水没しており、右岸の道路沿いでも特に何も見られなかった。
 なお見出しの読みは、資料『近江国見聞録』での読みおよび「角川」の小字一覧のルビに拠った。

 


(写真 ダム堰堤)

 

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